素晴らしすぎる

新しいカテゴリーをつくってみました。気になる言葉。日々の生活のなかで、変な言葉を見聞きしたときに、その言葉をどうして変だと思ったのか、よく考えて、ここに書き留めるようにします。
言葉づかいってけっこう繊細なもので、ちょっと気を抜くと、すぐに崩れちゃうからね。変な言葉を無意識に使っていると、自分の言葉がずれちゃいそうで怖いので、がんばって考えます。
ま、アレですよ。日頃から言葉を丁寧に選ぶようにしていれば、自分のまわりの大切な人たちに、より適切な言葉を渡せるようになるからね。日々、精進です。
今回、考えてみたのは「素晴らしすぎる」。過剰な肯定表現です。「素晴らしい」と言えば、優れていることは十分に伝わるのに、なぜそこに「すぎる」をつけるのか。同じような言葉に「最高すぎる」がありますね。ほかにも「丁寧すぎる」とか「天才すぎる」とか、いろんな「すぎる」を目にします。
俺も以前は、ときどきそういう言葉を使っていたんだけど、最近はあまり使わなくなりました。世の中で、さほど過剰じゃないのに「すぎる」をつけている文章を目にすることが多くて、ちょっと変だと思いはじめたからです。
それでちょっと考えてみたんだけど、「過ぎる」ってのは文字通り、適切な質量を過ぎたときに使う言葉なんだろうと、俺は思ったんですね。「約束の時間より3時間も前に着くなんて早すぎる」とか「夕飯にラーメン5杯は多すぎる」とか。あと、「俺には過ぎた女房だ」なんて言うこともあります。これも、夫と妻が釣り合っていないという意味で、適度じゃないことを示しています。
ということは、「素晴らしすぎる」とか「最高すぎる」って言葉はじつは、「いいんだけどちょっと度を超している」という、ネガティブな表現なんじゃないだろうか、と思いました。素晴らしすぎて鼻につく、ってな感じの言葉なんじゃないかと。
そこに気づいてから、「すぎる」って言葉を乱用しないように心がけています。流行り言葉だから、多少意味がずれていても、使えば勢いが出て、おもしろいんだけどね。そういう誤用に慣れてしまうと、なにが標準でなにが過剰なのかわからなくなりそうなんで、気をつけています。
きっとこれって、強調表現なんだろうねぇ。「素晴らしい」や「最高」では物足りない、もっと充実した気持ちを表現する言葉なんでしょう。おそらく。でも、それが頻出していて、もうなにがどう過ぎたのか、わからなくなってきた。そこに違和感があるんだと思います。最近、とくに印象的だったのが、人から「それは過剰すぎる」と言われたとき。さすがにもう、そこまでいくと言葉として崩壊してしまっている。もう、強調の言葉としても機能していない。これは危ないな、と思いました。
流行り言葉って、最初は楽しくていいんだけど、いつしか口癖のようになってしまって、言葉の乱れを生じたりもするので、なかなか厄介なものなんだよね。やー、なんつうかまぁ、世の中全体的に「すぎる」を使いすぎだってことですな(殴)