好きな動物その2

鹿を好きになってから、数年が過ぎた。さまざまな鹿グッズを手に入れた。表紙に鹿が描かれたノート、鹿のフィギュア、小さな鹿マークがあしらわれたスリッパなどなど。珍しいものでは、山小屋の壁にかかっている、鹿の頭部の剥製。あれを模してつくられた、美しいぬいぐるみも入手した。
鹿グッズに囲まれて生活していると、鹿の一員になったような気がして、気分がいい。鹿のすらっとした顔、なんの意図も感じさせない無垢な視線、意外と筋肉質な脚。そのすべてを、自分も共有させてもらっているような、妙な感覚がする。自分に新しい一面が生まれたようで、なんともおもしろい。
新しいものを生活にとり入れることは、楽しい。この数年、鹿をとり入れて、楽しく暮らしてきた。そして今年の夏に、鹿に続いて、またひとつ新しいものがわが家の生活に加わることになった。第一子を授かった。まだ父親になる実感はないけれど、生活が新しくなるのだという実感はすでにあって、準備をはじめている。
まだ子どもは妻のおなかの中にいる。でも、すでにその子に愛着を感じはじめている。この間、超音波検査の画像で子どもの姿を見てきた。白黒のギザギザした画面に、子どもの全身がおぼろげに浮かんでいた。口をパクパクと動かしていた。お医者さんの話によると、羊水を飲んでいるのだそうだ。
羊水をパクパク飲むのが精一杯の小さな子が、安心感を失ったこの社会で満足に生きていけるのだろうか、と不安になることもある。でもそのいっぽうで、この社会には楽しいことがたくさんあるんだってことを教えてあげたいという、希望も感じている。楽しいことは、本当にたくさんある。
子どもは、鹿のようにひとつの概念として俺の人生に加わるのではなく、ひとつの生命体として加わる。生活に、たくさんの変化が起きると思う。うれしいこともあれば、困ったこともあるだろう。でも、鹿を好きになることがそうであったように、総じて楽しい変化だろうと、楽観的に考えている。
これから先に、思いがけないこともいろいろと起きるだろうと思う。でも、できることなら生活を楽しみたいし、子どもも、俺たちとの生活を楽しんでくれたらうれしい。日々楽しく生活できることが、どれだけ幸せなことか、この3週間で身にしみてわかった。この幸せを守りたい。そのなかに、わが子を迎え入れたい。
わが子が日々を楽しく生きて、なにかを好きだと言ったら、その瞬間を思いっきり祝福してあげようと思う。それが俺にとって、いまいちばん強い希望だ。わが子を迎え、祝ってあげたい。できれば、ヘビやカエルが好きだって言い出さないといいんだけど、どうかな。ひねくれた親の子だからな。